私が勝手に“ほにや事件”と呼んでいる出来事が昨年(2017年)ありました。よさこい大賞候補の常連で、実際に何度も受賞している人気チーム『ほにや』がまさかの銀賞(5位)受賞という結果になったのです。別に何かが悪かったようには思えませんでした。審査員の心の中は見えませんので想像するしかありませんが、 理由を考えるとしたら「変化がなかった」ことでしょうか。いや、毎年「あの『ほにや』が見られる」からいいのであって、ヘンに変える必要もないという意見もあるでしょう。この発表を聞いたとき、私はよさこい祭りが常に変化し続ける祭りなのだという印象を改めて持ちました。
そして今年、その『ほにや』がV字回復してよさこい大賞を受賞しました。前夜祭で最初に演舞を観たとき「そこまでアレンジするの?」と思ったほどでしたが、日を追うごとに見慣れてきて、「ああ、あの『ほにや』だ」という印象になったのですから不思議です。
『ほにや』に代表されるように、今年のよさこい祭りはとにかく変化に富んだ内容でした。「サニーグループよさこい踊り子隊SUNNYS」は衣装の印象がガラッと変わりました。『DDよさこいチーム』もいつものキラキラ衣装が抑えめ。『au』は三太郎のキャラクターがいなくなり、『俵屋グループ』も若手に制作を任せて新風を吹かせるといった具合です。
そのせいなのか、今年はここ10年で最も見応えのあるよさこい祭りになったと感じました。また、よさこい祭りは全国に広がって認知されるようになりましたが、国際化も少しずつ進んでいます。2020年の東京オリンピック・パラリンピックをきっかけに“よさこいビッグバン”が起こるかもしれません。『桜舞ポーランド国際チーム』のドキュメンタリーを見ていても、参加者の反応が高知のチームの参加者と全く変わらないのが逆に面白いです。世界共通の表現、参加型の祭りとして大いに可能性を感じます。ひょっとすると、私はよさこい祭りの変革をリアルタイムで見ているのかもしれないという印象を覚えます。私は2016年にポーランドに行きましたが、観光地としての認識が日本人には薄いものの、美しい国で、国民の皆さんも勤勉で穏やかな方たちでした。そんな国に私が(たまたま)出かけたことも、日本の地方都市の一つである高知の人々と知り合うことになった各国のみなさんも、それぞれの縁があったということですし、その縁が絆に変わっていくのでしょう。
ところで最近私が感じているのは、「私はよさこい祭りを見ているのだろうか?」という疑問です。私は毎年帰省して取材申請をし、写真を撮り続けています。でも、私が見ているのは追手筋と、近辺の競演場・演舞場だけです。私が見ていない競演場・演舞場の方が圧倒的に多いですし、見ていないチームもあります。昔は追手筋での演舞が昼夜各2時間半くらいだったので、ほかの場所に出かけて見る余裕もあったのですが、最近は12時過ぎには現場でスタンバイしなければならないような状況なので、とても無理です。しかも、昼の部が終わったらすぐに夜の部が始まります。よさこい祭りに参加するチームが増えた結果なので喜ばしい状況ではありますが、今後ますます規模が拡大していくとすれば、何らかの工夫をしなければいけないのかもしれません。
なお、この話と表裏の関係にあるのが、菜園場商店街の『菜園場“菜の笑”さ組』と愛宕町商店街の『あたごまち愛組氣炎一座』の不参加です。理由の一つが担い手不足ということですが、どちらにも競演場があり、よさこい祭りを長年支えてきた商店街チームが出場できないという事態はなんとか回避できないだろうかと思います。よさこい祭りの期間限定で人を集めるとすれば、いろいろな手立てが考えられそうですが、商店街を商店街の歴史と文化として継承しながらよさこい祭りを位置付けなければならないとしたら、それは単純にはいきません。知恵の出しどころです。
なんだか、今年はいろいろな面でターニングポイントを迎えた第65回のよさこい祭りでした。