よさこい祭りの歴史
よさこい祭り1995

 よさこい祭りは、第二次世界大戦後の不況を吹き飛ばそうと高知市の商工会議所が企画したのが始まり。1953年のことです。この時、「隣の徳島県で行われている阿波踊りに負けないお祭りにしよう」と皆さん色々考えました。まずは踊りの振り付けを日本舞踊(花柳、若柳、藤間、坂東、山村の日舞五流派)のお師匠さんに依頼。また、踊りのための作詞と作曲を高知市在住だった武政英策氏に依頼しました(「よさこい鳴子踊り」)。この時の武政氏のアイディアで、「隣の阿波踊りの素手に対抗してこちらは鳴子を使おう」という提案がよさこい祭りの基本アイテムの一つになっています。第1回よさこい祭りは翌1954年8月に開催されました。日取りは当時の気象データで過去40年間で最も晴天率が高かった(正確には「降水率が低かった」)10日、11日に決まりました。 この当時のよさこい祭りは伝統的な盆踊り風だったようです。

 その後毎年よさこい祭りは開催されてきましたが、1972年頃から雰囲気が変わり始めました。よさこい祭りにサンバ調やロック調の曲を採用して踊るチームが出現したのです。思えばよさこい祭りの産みの親の一人である武政英策氏が「よさこい鳴子踊り」の使用を一般に許したため、その曲を自由にアレンジして制作することができ、それに合わせて振り付けを考え、衣装を工夫し・・・という今のよさこい祭りの形態につながる要素が込められていたと言うわけです。新しいよさこい祭りの形態はあっという間に広がり、よさこい祭りのバリエーションを広げて行きました。また、最初の頃は「日当を払って踊り子をお願いする」状況だったものが、「お金(参加費)を払って参加する」という状況に変わって行きました。同時に、参加する踊り子の皆さんの多くが若者、また女性であるという現象を生みました。さらに、生バンドをトラックの荷台に載せて演奏しながら踊る形態も流行しました。野外ライブ+舞踊という他にはあまり例を見ない祭りに進化したのです。この踊り子を先導する車を地方車じかたしゃと呼ぶようになりました。地方車の装飾が派手になったのもその頃からです。
※地方車の名称は、花街かがいのお座敷で舞を踊る立方たちかたに対して伴奏をする地方が語源です。

 その後10数年は、逆に「音がうるさい」とか「街にゴミが氾濫する」などの指摘もなされてきましたが、それらの問題をひとつひとつ解決しつつ、現在に至っています。最近では、生バンドはほとんど見られなくなり、代わってPA(音響機器)を地方車に搭載して参加するチームが大勢になっています。また、楽曲も数年前から「和風回帰」現象が見られ、笛や太鼓、三味線の音色が好まれるようになりました。それに合わせて衣装も浴衣や着物を採用するチームも多くなっています。ただ、もちろん現在でもロックやサンバ風のチームもありますし、最近の流行でヒップホップ調にしたり、あるいは演歌、フラダンス、フラメンコなど、非常に多彩なバリエーションを見せています。よさこい祭りは常に進化を続けていると言っていいでしょう。

 ところで、8月10日と11日のよさこい祭り本番に加えて、1991年から前夜祭が、1995年から後夜祭が、1999年から全国大会が開催されるようになりました。前夜祭は前年受賞チームが演舞を披露し、よさこい祭りの開幕を告げるもの、後夜祭はその年の受賞チームが最後の演舞を披露する場となっています。また、全国大会はよさこい祭りをモデルとする祭りが全国に広がったことを受け、お互いの交流を深める目的で開催されています。


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