よさこい祭りのトリビア 04

武政英策氏は作曲した「よさこい鳴子踊り」が気に入らなかったので別バージョンを作って映画のロケで使った。

武政英策氏は、最初8ビートで作曲することを考えました。しかし、振興会が振り付けを日本舞踊のお師匠さんたちに依頼した後だったので、日本舞踊に合うように4ビートで作曲せざるを得なかったのです。その後「南国土佐を後にして」(武政英策作詞作曲)がヒットし、同名の映画が製作されることになって、その1シーンで「よさこい鳴子踊り」を披露することになり、サンバ調の曲を改めて作曲し(※追記参照)、高知商業高校の女生徒100人をエキストラにして撮影しました。
よさこい祭りを生み出した武政氏自身がそれを打ち破って新しいものを創造する、そういう仕掛けが「よさこい鳴子踊り」に内在していた、というのは興味深い事実です。

【追記】
実物を目にしていないので確実な情報ではありませんが、1954年(第1回よさこい祭りが開催された年)に発売されたレコードで、A面には正調よさこい鳴子踊りが録音されていますが、B面にはサンバ調の曲が収められているとのことです。
※おそらく、日本マーキュリーM1325「鳴子踊り(サンバ)」(丘京子)
映画の「南国土佐を後にして」は1959年の公開ですから、サンバ調の曲は武政氏が最初から作曲していたことになります。

よさこい祭りのかけ声「よっちょれ」に批判が続出したことがある。 よさこい祭りの開催日を8月10日と11日にするには侃々諤々(かんかんがくがく)の議論があった。

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